スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

【おくやみ】南チヱさん

南チヱさん=歌手南こうせつさんの母 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE

 南チヱさん(みなみ・ちえ=歌手南こうせつさんの母)23日死去。91歳。告別式は26日午後1時、大分市竹中562の1大分市葬斎場。自宅は同市竹中3378勝光寺。喪主は長男、慧昭(えしょう)氏。

「うちのお父さん」や「幼い日に」などの作品にも登場する、こうせつさんのお母さん、南チヱさんが5月23日に亡くなりました。

南チヱさんは、どんな方だったのでしょうか。昨年、雑誌「百楽」(2007年9月号)に載った「母恋し/南こうせつ(ミュージシャン)」と題した記事で、こうせつさんがお母さんのことを語っています。

「ハイカラな洋服を着せてもらった。盆踊りには真新しい浴衣も着せてもらった。運動会の日にはいつも一番豪華な料理が並んだ。貧乏なお寺だったのに母は子供に惨めな思いをさせたくなかったのだろう。いや、それよりも何よりも、母自身が負けず嫌いで、一番じゃないと嫌だったからだ。
そんな母を反面教師に、僕は育った。」

「お寺の一人娘でプライドの高い母。
「いつも仏様がついています」が口癖だった。」

「とにかく気位も高く、プライドも高かった。いま、90歳ですが、大正生まれのしっかり者という感じですね。婦人会活動ではすぐに会長になったり、民生委員もやっていました。何とか会の支部長とかね。会合で家にいない時は、僕らは天国ですよ(本文より)。」



口癖といえば、KBD(かぐや姫ベストドリーミン)コンサートでは、こうせつさんがお母さんの口癖「そうでしょうか?」をネタにしていましたね。自分をほめられるといつも「そうでしょうか?」と謙遜していたそうで、こうせつと正やんの二人だけでウケていた内輪ネタですが。あと、お父さんが亡くなった後で「本当は好きじゃなかった」と告白したというエピソードとか。厳格な母親だったようですが、コミカルなキャラクターも持ち合わせていたのかな。

偉大なミュージシャンを生んだ偉大な母、南チヱさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
[ 2008/05/25 00:00 ] 関連情報 | TB(0) | CM(3)

お通夜

南こうせつの実母・チエさんの通夜がしめやかに営まれる
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200805/gt2008052608.html

 元かぐや姫のリーダーで歌手、南こうせつ(59)の実母で、23日に死去した南チエさん(享年91)の通夜が25日、大分市葬斎場でしめやかに営まれた。

 喪主は長男の慧昭(えしょう)さんが務めた。所属事務所によると、全国ツアーの真っ最中だったこうせつは通夜には参列できず、東京・八王子市民会館で悲しみをこらえてコンサートを行った。26日には朝一番機に乗って大分へ飛び、午後1時から同所で行われる葬儀・告別式に参列する予定という。
[ 2008/05/26 08:28 ] [ 編集 ]

南こうせつさんの母が死去…91歳:芸能:スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080525-OHT1T00075.htm

 チヱさんは大分市の曹洞宗勝光寺で、こうせつさんを含め4人の子供を育て上げた。こうせつさんは「大往生でした。丈夫に産んでくれて感謝しています」とコメントを寄せた。また、2004年2月のスポーツ報知のインタビューでは、小学校3年の時の誕生日を母に忘れられ、「夕食の時に、はっと気が付いた母が慌ててビスケットを買ってきて、普通の食事の横にビスケットが5枚並べられました。母親の愛情を感じましたね」と思い出を語っていた。
[ 2008/05/26 08:31 ] [ 編集 ]

デイリースポーツonline

南こうせつ 23日死去の母を歌で追悼/芸能・社会
http://www.daily.co.jp/gossip/2008/05/26/0001074780.shtml

 歌手の南こうせつ(59)が25日、23日に母・チヱさん(享年91)を亡くした悲しみの中、東京・八王子市民会館でコンサートを行った。コンサート前には、デイリースポーツの取材に応じ「大往生です。人間修業の場を終えて、めでたい卒業式を迎えたのだと思っています」と独特の表現で母を追悼。コンサートでは約2000人のファンを前にヒット曲「神田川」など19曲を披露。悲しみをみせず笑顔で熱唱し、母を天国へと送り出した。

  ◇  ◇

 最愛の母を亡くした悲しみを、決してみせることはなかった。「お涙ちょうだいが一番嫌いな母だったから、普段通りにいいコンサートをすることが供養になる」といつも通りにステージに立ち、歌った。同じ時間には故郷・大分で通夜が営まれていた。天寿を全うし、天国へと旅立った母に届けとばかりに、ステージ上で何度も天を見上げた。

 夜からのコンサートのため、午後2時過ぎに会場入り。デイリースポーツの取材には、母の死を「大往生です」と語った。ここ2、3年は寝たきりに近い状態が続き、大分市内の病院に入院していた。

 23日も、南は大分に戻り母を見舞っていた。その後、仕事のため東京に向かう大分空港で、出発を待っていた時悲報が届いた。

 ごく近い関係者以外には事実を知らせず、24日には予定通り新潟県長岡市でコンサートを行った。「これも芸能人の宿命です」と、納得した表情をみせた。

 実家は曹洞(そうとう)宗の寺。母は生前から「人間だれでも生きて死ぬ。枯れ葉が落ちるように死にたい」と死生観を話していたという。「その通りになりました。満足していると思います」と悲壮感はなく「丈夫な体とのどをくれたことを感謝しております」と最後まで気丈に語った。26日は、早朝の便で大分へと飛び、告別式に出席する。

 チヱさんの遺言は、寺を継いだ長兄・慧昭(えしょう)さんに戒名をつけてもらい、葬式の法要を主宰する導師役を務めてほしいという2つだったという。
[ 2008/05/26 12:38 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://k3.blog5.fc2.com/tb.php/285-2415a329






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。